
世界中で開かれる大会に出る為にはデモンストレーションで飛び続けて、 海外で練習しコネクションを作り、招待されてコンテストやイベントへ出ることのみ。今回のプロジェクトをきっかけにFMXを知ってもらえたらと思います。そして世界的な日本を代表するFMXライダーになる為に。
Daichieharafmx
関連カテゴリ
関連キーワード
目次
口コミ・評判
このオンラインサロンの口コミは、まだありません。
サロン紹介
▼はじめましてFMXライダーの江原大地です▼
いきなりこんな見た目ですみません笑フリースタイルモトクロス(FMX)ライダーの江原大地です。現在FMXライダーとして活動をスタートして3年が経とうとしています。一般の方からしてみたらフリースタイルモトクロスってなんなの?となると思います。1990年代前半頃モトクロスから派生した競技です。
モトクロスはレースとして速さを争う競技でしたがフリースタイルモトクロスはジャンプでのトリック(アクション)の完成度を争う競技です
フュギアスケート等と同じく採点される競技です。
初期はジャンプ中に両手を放す事や、両足を放すというアクションなどでしたが今ではバイクを1回転どころか、2回転させるツワモノまで出て来ています。【飛び出しから着地まで23mあります】※学校のプールとほぼ同距離です
FMXの業界ではジャンプ台の事を【ランプ】着地の山を【ランディング】と呼びます
モトクロスはレースとして速さを争う競技でしたがフリースタイルモトクロスはジャンプでのトリック(アクション)の完成度を争う競技です
フュギアスケート等と同じく採点される競技です。
初期はジャンプ中に両手を放す事や、両足を放すというアクションなどでしたが今ではバイクを1回転どころか、2回転させるツワモノまで出て来ています。【飛び出しから着地まで23mあります】※学校のプールとほぼ同距離です
FMXの業界ではジャンプ台の事を【ランプ】着地の山を【ランディング】と呼びます
▼ランドセルを背負うよりバイクに乗る方が早かった▼
4歳からバイクに乗りはじめました。子ども用のバイクがあり、モトクロスの世界ではほとんどが幼稚園の頃から乗り始めます。そんな年齢なので乗り始めたというよりいつの間にか乗っていたと言った方が正しいかもしれません。
<プロという厳しい現実と限界>
僕はプロの道を選び、2011年にモトクロスのプロライダーになる事が出来ました
プロになった当時は未だ16歳で、右も左も分からない状況だったなと今になって思います。3年間全日本モトクロス選手権に参戦し、活動を続けて来ました。しかしながらプロとしてレースを走った結果自分の限界を感じ沢山の葛藤のすえ引退することになりました
▼1回のジャンプと大阪城が僕を変えた▼引退後はバイクから少し身を引いていました。しかしひょんな事からランプを飛ばさせてもらう機会を頂き1度目のジャンプでFMXの面白さに取り憑かれました。2014年にフリースタイルモトクロスの世界的コンテストRed bull X-fightersが大阪で開催が決定し日本の公の場でフリースタイルモトクロスが行われました当時の大阪市長であった橋下市長が様々な賛否両論の中進めて開催することになり何気なくそれを観に大阪へ足を運びました大阪城を背景にバイクが舞う光景は今までに見た事のない景色でした。そして、一瞬にして僕はFMXの虜になり、生業にしようと決意する事となりました。
▼歩み始めたFMXライダーとしての道▼まずは、所持していなかったバイクをなけなしのお金で買い、見よう見まねでバイクをフリースタイル用に改造し気づいた頃には茨城にある練習場に通い詰め、練習に明け暮れてました。そして半年後、その時世界基準の23mランプを飛ぶ若年層が居ない、という事もあり、大先輩に声をかけて頂き、右も左もわからぬまま初めてのコンテストに出場することが出来ました。今でこそ笑える程の緊張で何も出来なかったのを覚えてます、
しかしそれが益々刺激となり、 それからも練習に明け暮れ、
2015年5月色々なタイミングと運が重なり1ヶ月半に及ぶ世界チャンピオンとの合宿の末
初めてのバックフリップ(バイクで空中後方1回転)に成功しました。▼日本を飛び出して感じた世界との差▼FMX業界に入って1年が経つ頃、少しずつコンテストやイベント、デモンストレーション、 に出させて頂けるようになり
多少の認知度も出てきました。それと同時に海外に行きたいと言う欲に駆られて2016年2月、単身オーストラリアへ。右も左も解らない日本人の誰もいない場所へ行って3ヶ月みっちり練習をしました。2016年は沢山の方々から自分のパフォーマンスに評価を頂き前の年の倍以上のイベントやデモンストレーションに出演させて頂きましたそのお陰もあって、ほんの少しですが、バイクに傾いた生活を送れるようになり始めましたその頃丁度良いタイミングで開催された日本の若手FMXライダーの映像コンテストで1位になりスペイン、マドリッドへの渡航券を手にしました。マドリッドで開催されたRed Bull X-Fightersを実際に見て僕が感じたことは↓↓↓
▼世界の舞台で活躍するライダーになる為に。必要なのは日本から出ること▼日本のイベントやコンテストに出ているだけでは世界で開催されるコンテストに出場することができません何故ならば…コンテストは申し込み制ではなく、招待制だからです。招待を受ける為には海外で練習しコネクションを作りコンテストやイベントに出場しなければいけません。2016年から1年に1回はオーストラリアでみっちり合宿を行うようにしています。その甲斐もあり2017年5月の日本でのコンテストで優勝することができました。今現在は平日に仕事をしながら、週末は練習に取り組んでいます。世界のライダー達と比較するとまだまだ先は長い事が実情です
その為には今以上に全速力で様々な事にチャレンジしていかなければいけません。
日本人の若手ライダーの1人として海外で培うスキルや経験値を格段に増やし、今後のFMX業界を牽引していける存在になるため、何より世界に挑戦するための資金の一部を皆様にご支援頂きたく恥を忍んでお願いしたいと思っております。2年前のインタビュー動画で恥ずかしい部分もありますが想いは変わってないので、是非僕の言葉で、肉声で想いを受け取っていただけたらと思います。最後の動画なので見て頂けましたら嬉しいです▼最後に。日本でももっとFMXの魅力を伝えたい。▼世界への挑戦も1つの目標ではありますが日本でもFMXの魅力をもっと知ってもらえたらと思っています。
FMX業界は今若年層が全然おらず悩んでいます。そんな中で若手と呼ばれる今だからこそ自分に出来ることは無いかと日々考えています。
そこで、ワールドレベルのライダーが出てきたら自分の事を目標に頑張ってくれるキッズ達が一人でも増えるかもしれない、競技人口が増えて業界の活性化、 即ち日本の自動車産業の底上げができるかもしれないという想いで活動しています。
若い奴が何もわかってないのに。とか、何も出来ないくせに。など思われるかもしれません。行動しないと始まらないし誰もやってない事に挑戦してみたいんです。
自分のライディングで世界中を感動させたいです。
<プロという厳しい現実と限界>
僕はプロの道を選び、2011年にモトクロスのプロライダーになる事が出来ました
プロになった当時は未だ16歳で、右も左も分からない状況だったなと今になって思います。3年間全日本モトクロス選手権に参戦し、活動を続けて来ました。しかしながらプロとしてレースを走った結果自分の限界を感じ沢山の葛藤のすえ引退することになりました
▼1回のジャンプと大阪城が僕を変えた▼引退後はバイクから少し身を引いていました。しかしひょんな事からランプを飛ばさせてもらう機会を頂き1度目のジャンプでFMXの面白さに取り憑かれました。2014年にフリースタイルモトクロスの世界的コンテストRed bull X-fightersが大阪で開催が決定し日本の公の場でフリースタイルモトクロスが行われました当時の大阪市長であった橋下市長が様々な賛否両論の中進めて開催することになり何気なくそれを観に大阪へ足を運びました大阪城を背景にバイクが舞う光景は今までに見た事のない景色でした。そして、一瞬にして僕はFMXの虜になり、生業にしようと決意する事となりました。
▼歩み始めたFMXライダーとしての道▼まずは、所持していなかったバイクをなけなしのお金で買い、見よう見まねでバイクをフリースタイル用に改造し気づいた頃には茨城にある練習場に通い詰め、練習に明け暮れてました。そして半年後、その時世界基準の23mランプを飛ぶ若年層が居ない、という事もあり、大先輩に声をかけて頂き、右も左もわからぬまま初めてのコンテストに出場することが出来ました。今でこそ笑える程の緊張で何も出来なかったのを覚えてます、
しかしそれが益々刺激となり、 それからも練習に明け暮れ、
2015年5月色々なタイミングと運が重なり1ヶ月半に及ぶ世界チャンピオンとの合宿の末
初めてのバックフリップ(バイクで空中後方1回転)に成功しました。▼日本を飛び出して感じた世界との差▼FMX業界に入って1年が経つ頃、少しずつコンテストやイベント、デモンストレーション、 に出させて頂けるようになり
多少の認知度も出てきました。それと同時に海外に行きたいと言う欲に駆られて2016年2月、単身オーストラリアへ。右も左も解らない日本人の誰もいない場所へ行って3ヶ月みっちり練習をしました。2016年は沢山の方々から自分のパフォーマンスに評価を頂き前の年の倍以上のイベントやデモンストレーションに出演させて頂きましたそのお陰もあって、ほんの少しですが、バイクに傾いた生活を送れるようになり始めましたその頃丁度良いタイミングで開催された日本の若手FMXライダーの映像コンテストで1位になりスペイン、マドリッドへの渡航券を手にしました。マドリッドで開催されたRed Bull X-Fightersを実際に見て僕が感じたことは↓↓↓
▼世界の舞台で活躍するライダーになる為に。必要なのは日本から出ること▼日本のイベントやコンテストに出ているだけでは世界で開催されるコンテストに出場することができません何故ならば…コンテストは申し込み制ではなく、招待制だからです。招待を受ける為には海外で練習しコネクションを作りコンテストやイベントに出場しなければいけません。2016年から1年に1回はオーストラリアでみっちり合宿を行うようにしています。その甲斐もあり2017年5月の日本でのコンテストで優勝することができました。今現在は平日に仕事をしながら、週末は練習に取り組んでいます。世界のライダー達と比較するとまだまだ先は長い事が実情です
その為には今以上に全速力で様々な事にチャレンジしていかなければいけません。
日本人の若手ライダーの1人として海外で培うスキルや経験値を格段に増やし、今後のFMX業界を牽引していける存在になるため、何より世界に挑戦するための資金の一部を皆様にご支援頂きたく恥を忍んでお願いしたいと思っております。2年前のインタビュー動画で恥ずかしい部分もありますが想いは変わってないので、是非僕の言葉で、肉声で想いを受け取っていただけたらと思います。最後の動画なので見て頂けましたら嬉しいです▼最後に。日本でももっとFMXの魅力を伝えたい。▼世界への挑戦も1つの目標ではありますが日本でもFMXの魅力をもっと知ってもらえたらと思っています。
FMX業界は今若年層が全然おらず悩んでいます。そんな中で若手と呼ばれる今だからこそ自分に出来ることは無いかと日々考えています。
そこで、ワールドレベルのライダーが出てきたら自分の事を目標に頑張ってくれるキッズ達が一人でも増えるかもしれない、競技人口が増えて業界の活性化、 即ち日本の自動車産業の底上げができるかもしれないという想いで活動しています。
若い奴が何もわかってないのに。とか、何も出来ないくせに。など思われるかもしれません。行動しないと始まらないし誰もやってない事に挑戦してみたいんです。
自分のライディングで世界中を感動させたいです。
料金・プラン

■活動報告
練習風景やイベント・コンテストの写真や動画を
活動報告として送らせていただきます。
また、出場するイベントなどの情報も配信していきます。
小さな応援でも僕の力になります。
練習風景やイベント・コンテストの写真や動画を
活動報告として送らせていただきます。
また、出場するイベントなどの情報も配信していきます。
小さな応援でも僕の力になります。
500円/月
0名プロフィール
Daichieharafmx
1995年生まれ、神奈川県出身。幼少よりモトクロスを始め、2011年に全日本モトクロス選手権国際A級に昇格し、プロライダーとして全日本モトクロス選手権に参戦。2014年にFMX(フリースタイルモトクロス)に転向。RedBull JapanとBANZAI MAGAZINEの特別企画であるFMX若手映像コンテストで1位を獲得。また2017年5月、FMX in samegawa大会にて優勝。日本初学祭でパフォーマンスを披露するなど、全国を飛び回りイベントやコンテストに参戦中。
おすすめのオンラインサロン・特集
- 日本最大の副業検索サイト【副業クラウド】では、在宅やリモートワークなど様々な副業を一括検索できます。エンジニアやデザイナー、マーケッターや事業企画など、あなたに最適な副業が見つかります。副業クラウド
- 日本最大の副業検索サイト【副業クラウド】では、在宅やリモートワークなど様々な副業を一括検索できます。エンジニアやデザイナー、マーケッターや事業企画など、あなたに最適な副業が見つかります。副業クラウド
デイリーランキング(参加人数順)
1
2
3
3
3
3
7
7