
タイとミャンマーの国境周辺地域で活動するあやさん@カレンニ―とつながるコミュニティです。たくさんの方々とのご縁を楽しみにしております。
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サロン紹介
はじめまして。
あやさん@カレンニ―と申します。クーデター後の革命(内戦)が続くミャンマーの少数民族地域の一つであるカレンニ―州(カヤー州)を中心に活動しています。
ミャンマーとのつながり。
2013年から2020年まで7年間ほどミャンマーに滞在していました。国際機関でのインターンで数ヵ月の滞在予定でしたが、ミャンマーの人、文化、景色に魅了され、気がついたら7年も滞在しておりました。ミャンマーでは、国際機関でのインターン(ヤンゴン)、日系NGOでの勤務(ラカイン州シトウェ駐在)、現地法人での勤務(ヤンゴン)を経て、2018年にヤンゴンで若者のメンタルヘルスを支援するソーシャルスタートアップ起業しました。
民政移管したミャンマーは新しい橋ができたり、新しいお店やサービスができたり、日々景色が変わっていき、イキイキとした発展が毎日体感できる日々でした。そんな中、くだらない冗談で笑いあったり、意見の違いがからぶつかったり、達成を共に喜び泣いたり、ミャンマー人の仲間たちと共に分かち合った時間や感情は私にとって宝物でした。
クーデターという強烈な経験。
2020年4月に新型コロナウイルスの影響により一時日本に戻り、ミャンマーに戻るタイミングを伺っていた矢先、2021年2月1日にクーデターが起きました。そして中央政府を名乗る軍事政権が、権力で、軍事力で、武力で、暴力で、一般市民を抑えつけていく様を目の当たりにしました。
その時から、螺旋のごとく私の人生は大きく角度をつけ、曲がり始めました。軍政が非武装のデモ隊に対し武器を使って弾圧し始め、自分の知っている街並みで、逃げまどい、血を流し倒れるミャンマーの人々。軍政側か民主化側か、急速に分断されていく社会。止まないミャンマー人の友人たちからの「Help」というメッセージ。人生をかけてエネルギーを注いでいた事業が次々に廃業に追い込まれたミャンマー人の起業家仲間たち。民主化側が武装し軍事政権と戦いはじめ、ミャンマー国内が一気に戦闘の渦に…。
現状を世界に理解してほしいという友人たちからのSNSを通した発信は、痛々しい写真や映像も多くありました。それを「見ること」=「現状を理解すること」であり、自分の責任でもあるように感じていた当時のわたしは、毎日それを受け止めていました。数週間後、流血シーンの多い当時人気のアニメが観れなくなりました。ハンカチの赤い模様が血に見えるようになりました。知人から「ミャンマー大変だね」と言われるだけで涙がぽろぽろこぼれてくるようになりました。
そして、心が「どう感じればいいのか」が分からなくなりました。受け止めることのできる限界を超えたようでした。世界と自分が切り離されたような感覚でした。
「誰もわたしを知らない場所でひとりになりたい」。クーデターから半年が経った2021年の夏、東京での仕事を辞め、知人のいない地域に引っ越しました。ミャンマーとの距離間を再考し、自分の心身魂にフォーカスする生活をはじめました。
ミャンマーを愛している、という気づき。
「つながりを取り戻すワーク」のファシリテーター養成講座を受けた際、直視すると自分が壊れるのではないかと恐れて向き合えていなかった痛みと向き合った時、嗚咽と共に心の奥底にしまい込んでいた言語化できていなかった想いが言葉になって生まれました。
「たった数人の利己的な権力者が、あまりに多くの人々の今と未来を奪い、あまりにも理不尽。そしてそれを、どうやっても変えることのできない自分自身の無力さ。」
最も辛かったのは、大好きなミャンマーや友人たちが痛めつけられていることに対し自分は何もできなかったという無力さでした。
同時に、自分がどれだけミャンマーを愛しているかに気づかされました。心が壊れるほどに痛みを感じるほど、あの国と人々とわたしはつながっている。そしてそれは、愛している、ということ。つながりと向き合い、愛し続けよう。そう決めました。そして、自分にできることをするために再び行動し始めました。
これまでの活動。
2023年春から2024年夏まで、現地で起きていることや支援ニーズを理解するためにタイとミャンマーの国境周辺地域を度々訪問し、独自に自費でニーズ調査を行ってきました。
2023年秋には、NPO法人グレーターメコンセンター副代表であり、「ビルマのゼロ・ファイター ミャンマー和平実現に駆ける一日本人の挑戦 」の著者である井本勝幸氏にご協力を頂きながら、タイとミャンマーの国境周辺地域の農業開発による少数民族の所得創出プロジェクトを視察させて頂いたり、少数民族(武装勢力)のリーダーの方々と面会させて頂いたりする中で、少数民族の方々の視点を学びました。
ミャンマーに住んでいた頃は主にヤンゴンという大都市で働いていたため、少数民族や社会的少数派の方々も大多数のビルマ族の中で仲良く生活している様子を見て、これが「ミャンマー」なのだと思っていました。しかし、自分がこれまで「ミャンマー」だと思っていたことは、限られた少ない情報を基にした、非常にバイアス(偏り)のかかった視点であったことを思い知らされました。自分の偏った視点を恥ずかしく思い、少数民族の方々に申し訳なかったという思いでいっぱいになりました。7年在住していても、知ろうとしなければ知ることはできない。あの時の反省が、今わたしが自分の足で現地へ行って、自分の目で見て、現地の人と直接話をすることを活動の軸としていることにつながります。
その後、井本氏とともに、2024年5月にミャンマーの少数民族武装勢力のリーダーと民主派政府の大臣(合計10名以上)を日本に招聘するプロジェクトを実行しました。招聘に全力投球するため、当時勤めていた仕事を退職し、日本側の調整の全てをひとりで手弁当で担いました。
リーダー達と1週間寝食をともにし(準備期間を含むと2か月)、”武装勢力”のイメージが大きく変わりました。会う前は、武装勢力というその響きから、厳つくて暴力的なイメージがありました。そのイメージはおそらく、ニュースでみるハマスやアルカイダなどから影響を受けていたのかもしれません。
東京滞在でのミャンマーの武装勢力のリーダーたちは、わたしを孫のようにみてくれる普通の穏やかなおじさんたちでした。わたしに最大のリスペクトを持って接してくださいました。
別れ際に、見送る私に彼らが向けた眼差しは、感謝と信頼と尊敬と…多次元的な温かさを感じるものでした。その温かさは、わたしの魂に柔らかく優しく響きました。戦う必要がなければ、きっと皆、全く違った穏やかな人生を送っていたはず。わたしは、彼らが人々や民族のために捧げる人生を選んだことに、心から感謝しました。そして、こうして出会い、人生が交差したことを嬉しく思いました。
招聘を通して彼らが訴えていたことは、「連邦制と民主化」でした。わたしは、その連邦制の樹立を応援することがミャンマー全体の平和と安定につながると腹落ちしました。そして連邦制を樹立するためには、少数民族の地域に州政府の機能を担う組織と体制が必要で、その州政府の財政を支える経済発展が必要だと考えました。経済開発・回復には、地域への貢献度が高い中小企業の経営回復支援や、若い起業家を育成する支援、その支援に流れる資金メカニズムを開発していくことが必要だと感じました。それは、わたし自身のミャンマーでのソーシャルアントレプレナーとしての経験と、前職でのインパクト投資やベンチャーフィランソロピーなどの社会性の高いビジネスを支援する資金の知見を活かせる分野でした。
そこで、2024年秋、タイとミャンマーの国境周辺地域のソーシャルビジネスを応援するSocial Impact at Borders Incubation Program(SIBIP)を企画しました。SIBIPでは、ミャンマーのシャン州、カレンニ―州、カレン州、モン州、タイのチェンマイ県、メーホンソン県、ターク県から合計37名からの応募があり、最終選考に選ばれた6名が12月のピッチイベントに参加しました。結果、メーソットとメーホンソンの2社が選ばれました。との共創がはじまりました。日本の経験豊富な有志の4人のエキスパートがSIBIPに参画してくださり、選ばれた2社の起業家たちに資金支援(事業拡大を応援する1000USDの提供)と半年の伴走支援(事業へのアドバイス)で応援してくださいました。
このSIBIPの過程で、悔しく感じたことがありました。それは、あまりに現地の状況やリスクが分からなかった為、ミャンマー国内からの応募者のビジネスアイディアを選ぶことができなかったことです。起業して例えば魚の養殖場を作っても空爆されたら…そもそもこのビジネスアイディアはこの状況下で適切なのか…そんなことが過ると、採用することができませんでした。
人道支援だけでは持続可能性がない、社会全体が発展していかない。様々なリスクがあるがゆえに支援がない、そんなミャンマーの少数民族地域のビジネスや起業家こそ、応援しなければ。連邦制の樹立と経済開発に向け、中小企業支援と起業家育成は今から着手しなければ。現在の紛争が何らかの政治的解決で落ち着いたとしてもビジネスセクターへの海外の投資や助成はヤンゴンやマンダレーなど大都市に集中し、少数民族の地域には来ない。この分野でわたしが活動する意義は大きいはずだ。
そんな思いが強くなる中、少数民族地域の一つであるカレンニ―州の暫定政府の方々とご縁を頂きました。カレンニ―州の暫定政府は、数あるミャンマーの少数民族地域の中でも最もその体制作りと運営が進んでいると言われています。私自身、何度か彼らの内部の会議に参加し、その進展にとても驚きました。彼らの経済開発計画とわたしの活動の方向性は親和性が高く、同時に、誠実で温かいカレンニ―の方々に惹かれ、カレンニ―州を中心に活動していくことを決めました。これが、「あやさん@カレンニ―」のタイトルの由来です。
2025年1月にカレンニ―州に入り、人脈形成と現状把握に務めました。その結果、素敵な起業家たちに出会え、リスクとみられる前線での戦闘や空爆は局地的であることを体感しました。SIBIPの選考過程でみたビジネスアイディアが、既にいくつかの地域で実施されている実践的で現状のニーズやデマンドに即したものであったことも確認しました。
同時に、
①この有事中の起業において、起業家がどんな壁にぶつかるのかを私自身が体感しなければ地に足のついた支援はできない
②潜在的な日本の資金提供者から「いきなり現地の起業家にお金を出すのは不安だが、最初のスタートアップの時期だけでもあやさんが事業開発するなら資金提供を検討してもいい」と言ってくださったことを機に、自分が起業する場合を想定し潜在的な事業開発の機会を模索したい
③州政府をファイナンスするためにも経済開発、産業開発が必要だが、どんな潜在的な機会があるのか理解したい
と思い、その視点でも現地で調査を始めました。
そうして、機会としては自転車やバイク・車の販売・修理、インターネットカフェやレストラン、農業、農産物の加工品、コスメやビューティーサロン、飲料水など幾つかを特定し、事業をスタートしやすいセキュリティリスクの比較的低い地域も特定しました。
知人のとある会社の社長に相談すると、「その地域の現在の人口を考慮すると、採算が見込めるか難しい。始めるなら、日常で必ず人々が必要とするものにした方がいい。飲料水はいいと思う。」というアドバイスを頂きました。
なるほど、と思い、飲料水事業の開発を視野に置いて、再びカレンニ―州に入り、調査を行いました。
その調査で、カレンニ―州内の水問題をより深く理解することになりました。安全な水にアクセスできないがために避難民キャンプで皮膚病を発症する方がいたり、近くに水がないため遠くまで歩いて水を汲みにいかなければいけなかったり、地震後にこれまで使っていた湧き水が出なくなってしまった地域があったり、国軍が使った爆弾や含まれる毒の影響で川の水が汚染されていたり、雨季には水が濁水になり水へのアクセスがさらに悪化したり、州内で購入できるペットボトルの飲料水はほとんどが州外からの輸入に頼っていたり。
カレンニ―州内でも都市部と地方、水源が近くにあるかないか、洪水が起きやすい場所かどうか、など様々な地域的背景により水問題の状況が異なることが理解できました。
小さなコミュニティベースの飲料水の会社も幾つか都市部で特定することができました。人々が飲料水を購入する機会や購入する人のセグメントも徐々に特定できました。同時に、ほとんどの地域では、飲料水を買える人はまだ少なく、無料での提供による人道支援ニーズが高いことも把握しました。
その調査を通して、「水」が人道支援、公共サービス開発、産業開発、災害対策・支援、自然資源管理という多様なセクターを横断してニーズが高い領域であると気づきました。
今すぐにビジネスとして採算が取れずとも、まずは各地域ごとに違うニーズの中で、現地の自治体や企業、市民社会団体と協力して非営利で自分ができることからはじめていこう。そのプロセスのなかでもっと深く詳細な情報やデータを取ることができ、徐々に人々のニーズとデマンドを把握でき、経済的にも持続可能なかたちの非営利・営利の飲料水事業の仮説ができるはず。地域によっては、わたしが飲料水事業をはじめることが適切かもしれない、既に小さなコミュニティベースの飲料水会社があるところには融資を提供して彼らの事業拡大や品質向上を応援することが適切かもしれない、若者を対象に水に関する持続可能な事業開発を考えるビジネスコンテストを実施して実現可能なアイディアにシードファンドを提供することも良いかもしれない。
そう思い、まずはできることからと、避難民キャンプに水を提供している若者の市民団体に寄付したり、現地の団体や暫定政府の方々と意見交換を行いました。並行して、中小企業開発に向けてオーガニック農園に無利子・無担保の小規模融資(マイクロファイナンス)を実施しました。
活動の詳細はこちらのnoteからも確認できます。
今後の活動。
目指す未来は「ミャンマー全土の平和と安定」です。平和と安定につながる連邦制と民主制の樹立を応援していきます。
連邦制では各州の州政府をその州の少数民族が中心となって担います。州政府のガバナンス強化には州の財政が重要な鍵となります。
ご縁のあったカレンニ―州暫定政府の財政を支える経済発展を目指し、経済開発・回復のために、地域への貢献度が高い中小企業(コミュニティビジネス、コミュニティエンタープライズ)の経営回復支援や、若い起業家を育成する支援、その支援に流れる資金メカニズムを開発していくことに貢献していきます。
より現地のことを理解するため、引き続き暫定政府や武装勢力、自治体や市民団体の方々と意見交換を行いながら協働しながら活動していきます。
具体的には、カレンニ―州で安全な水へのアクセスを向上に向け、「飲料水」を一つの足掛かりに、人道支援に取り組みながら産業開発、起業家育成、ビジネス支援資金開発に取り組む活動していきます。
上記の取り組みは財政だけでなく、コミュニティのレジリエンスを高めることも目指しています。草の根のコミュニティビジネスは雇用を生み、収入を継続し、人々の生活とつながりを維持し、質の高いレジリエンスとなると考えています。政治的解決がつかず紛争が長期化しているこの状況で、創造的な活動となるコミュニティビジネスの開発は、人々にとって希望にもなり、精神的感情的ウェルビーイングにもつながると信じています。
そしてもう一つ、大切にしている活動があります。それは「祈り」です。
クーデター後何もできなかったことに対し心身魂のバランスが崩れたとき、回復までのプロセスで自然と共にいたり、森の中で舞ったり、神社で手を合わせたり… 当時、魂が望むことを自分にさせていった結果、わたしの内側に「祈り」が育まれていきました。
祈りのなかにいるとき、「何もしなくても、わたしはそのままで愛され、満たされている」と気づく瞬間がありました。そして、「全てはつながっていて、一つなのだ」と。それは、人と人、人と大地、地球や宇宙、目に見える世界や見えない世界、過去現在未来、光と闇、あらゆるものがつながっていてひとつという感覚でした。わたしという存在はそのつながりの一部でありすべてであると気づいたとき、そのつながりを愛おしく感じ、自分の存在を心から尊く思えました。それは、多層的な深い癒しであり、同時に自分の中にある大きな愛に気づく道でした。体をもって生きている歓びを感じ、いまあるすべてに感謝し、愛していると伝えたいという想いが溢れました。これを調和と呼ぶのかもしれない、これが愛の循環なのかもしれない、祈りはわたしに多くの気づきをもたらしました。
祈りは、紛争(革命)の真っただ中にあるミャンマーに関わり続けるなかで、日常的に触れる多くの痛みや複雑な人々の感情、傷ついた大地、自分自身のエゴやトラウマと向き合っていくためにも必要なものだと感じるようになりました。ミャンマーの活動と自身の祈りの開発が連動しているように思え、もしかしたら祈りこそが、わたしの魂が求めているミャンマーとの関り方なのかもしれないとも思うようになりました。
活動中は、行く先々でその大地の神々に挨拶をし感謝をし、樹々や花、水に触れ、現地の方々の伝統的な儀式の場、空爆や戦闘があった場など、祈りたいと感じた場所では祈りを捧げています。前線で戦っている革命軍の方々と話しているとき、わたしには彼らが祈りのなかにいるようにも見えました。国内避難民として自分の土地を離れることを余儀なくされた方々と大地とのつながりが絶たれていることに深い悲しみを感じました。
祈りを信頼し、祈りの純度を高めたい、深めたいという想いに駆られ、天麻那舞、瞑想、仏教哲学、エナジーワーク、聖地巡礼などを続けながら感応に意識を向け、祈りの道を歩んでいます。
目指す未来である「ミャンマー全土の平和と安定」に向って、祈りを続けていきます。
わたしの活動はNGOなどに見られる1年や3年などの期間的区切りと固定された事業内容がある支援事業、開発事業ではありません。この変化の激しいミャンマーの情勢の中で、意義ある貢献をするために現状に合わせ柔軟に多面的、多層的に活動していきます。同時に、100年、200年先の未来を見据えて今成すべき活動していきます。
人道支援ニーズの高い現在、ビジネス開発支援につながる資金を提供してくださる方はほとんどいません。ビジネスの投資の視点ではリスクが高すぎること、そして寄付や助成の視点からでは人道支援が優先となるからです。インパクト投資やベンチャーフィランソロピーの視点からみても、経済的リターンはおろか測定可能な社会的リターンさえ確保できる保証もないので、資金提供は難しくなります。公的資金を使った日本のNGOやJICAなど諸団体の活動は、公式なカウンターパートである軍事政権を通さなければならないため、反軍事政権を掲げている少数民族の地域には資金や支援は来ません。そしてわたしの活動は、期間内に目に見える成果を明確に出せるような取り組みでもありません。また、わたしは認定団体に所属していてはできない活動をしているため、個人で活動しています。このような理由から、現在、日本の社会の中でわたしの活動と合う資金はなかなか存在しません。
そして、祈りで平和を創るという国際協力活動を文化交流という領域ではなく草の根の活動領域で行っている方はあまりいらっしゃらないため社会的に認知されにくく、短期的に目に見えるかたちで成果や効果を明確に提示することも難しいです。
それでも、自分がこれまでと今も続く試行錯誤のなかで生まれてきたビジョンとプロセスを信じ、意味があると自分が腹落ちしている活動をしていくと決めています。
そしてだからこそ、このプロセスそのものを多くの方々と分かち合いたいと思いました。
描く明確な結果に対して寄付を募るクラウドファンディングではなく、多くの方々とつながり、そのプロセスを分かち合えるようこのコミュニティを作ることを決めました。
ミャンマーとのつながり。
2013年から2020年まで7年間ほどミャンマーに滞在していました。国際機関でのインターンで数ヵ月の滞在予定でしたが、ミャンマーの人、文化、景色に魅了され、気がついたら7年も滞在しておりました。ミャンマーでは、国際機関でのインターン(ヤンゴン)、日系NGOでの勤務(ラカイン州シトウェ駐在)、現地法人での勤務(ヤンゴン)を経て、2018年にヤンゴンで若者のメンタルヘルスを支援するソーシャルスタートアップ起業しました。
民政移管したミャンマーは新しい橋ができたり、新しいお店やサービスができたり、日々景色が変わっていき、イキイキとした発展が毎日体感できる日々でした。そんな中、くだらない冗談で笑いあったり、意見の違いがからぶつかったり、達成を共に喜び泣いたり、ミャンマー人の仲間たちと共に分かち合った時間や感情は私にとって宝物でした。
クーデターという強烈な経験。
2020年4月に新型コロナウイルスの影響により一時日本に戻り、ミャンマーに戻るタイミングを伺っていた矢先、2021年2月1日にクーデターが起きました。そして中央政府を名乗る軍事政権が、権力で、軍事力で、武力で、暴力で、一般市民を抑えつけていく様を目の当たりにしました。
その時から、螺旋のごとく私の人生は大きく角度をつけ、曲がり始めました。軍政が非武装のデモ隊に対し武器を使って弾圧し始め、自分の知っている街並みで、逃げまどい、血を流し倒れるミャンマーの人々。軍政側か民主化側か、急速に分断されていく社会。止まないミャンマー人の友人たちからの「Help」というメッセージ。人生をかけてエネルギーを注いでいた事業が次々に廃業に追い込まれたミャンマー人の起業家仲間たち。民主化側が武装し軍事政権と戦いはじめ、ミャンマー国内が一気に戦闘の渦に…。
現状を世界に理解してほしいという友人たちからのSNSを通した発信は、痛々しい写真や映像も多くありました。それを「見ること」=「現状を理解すること」であり、自分の責任でもあるように感じていた当時のわたしは、毎日それを受け止めていました。数週間後、流血シーンの多い当時人気のアニメが観れなくなりました。ハンカチの赤い模様が血に見えるようになりました。知人から「ミャンマー大変だね」と言われるだけで涙がぽろぽろこぼれてくるようになりました。
そして、心が「どう感じればいいのか」が分からなくなりました。受け止めることのできる限界を超えたようでした。世界と自分が切り離されたような感覚でした。
「誰もわたしを知らない場所でひとりになりたい」。クーデターから半年が経った2021年の夏、東京での仕事を辞め、知人のいない地域に引っ越しました。ミャンマーとの距離間を再考し、自分の心身魂にフォーカスする生活をはじめました。
ミャンマーを愛している、という気づき。
「つながりを取り戻すワーク」のファシリテーター養成講座を受けた際、直視すると自分が壊れるのではないかと恐れて向き合えていなかった痛みと向き合った時、嗚咽と共に心の奥底にしまい込んでいた言語化できていなかった想いが言葉になって生まれました。
「たった数人の利己的な権力者が、あまりに多くの人々の今と未来を奪い、あまりにも理不尽。そしてそれを、どうやっても変えることのできない自分自身の無力さ。」
最も辛かったのは、大好きなミャンマーや友人たちが痛めつけられていることに対し自分は何もできなかったという無力さでした。
同時に、自分がどれだけミャンマーを愛しているかに気づかされました。心が壊れるほどに痛みを感じるほど、あの国と人々とわたしはつながっている。そしてそれは、愛している、ということ。つながりと向き合い、愛し続けよう。そう決めました。そして、自分にできることをするために再び行動し始めました。
これまでの活動。
2023年春から2024年夏まで、現地で起きていることや支援ニーズを理解するためにタイとミャンマーの国境周辺地域を度々訪問し、独自に自費でニーズ調査を行ってきました。
2023年秋には、NPO法人グレーターメコンセンター副代表であり、「ビルマのゼロ・ファイター ミャンマー和平実現に駆ける一日本人の挑戦 」の著者である井本勝幸氏にご協力を頂きながら、タイとミャンマーの国境周辺地域の農業開発による少数民族の所得創出プロジェクトを視察させて頂いたり、少数民族(武装勢力)のリーダーの方々と面会させて頂いたりする中で、少数民族の方々の視点を学びました。
ミャンマーに住んでいた頃は主にヤンゴンという大都市で働いていたため、少数民族や社会的少数派の方々も大多数のビルマ族の中で仲良く生活している様子を見て、これが「ミャンマー」なのだと思っていました。しかし、自分がこれまで「ミャンマー」だと思っていたことは、限られた少ない情報を基にした、非常にバイアス(偏り)のかかった視点であったことを思い知らされました。自分の偏った視点を恥ずかしく思い、少数民族の方々に申し訳なかったという思いでいっぱいになりました。7年在住していても、知ろうとしなければ知ることはできない。あの時の反省が、今わたしが自分の足で現地へ行って、自分の目で見て、現地の人と直接話をすることを活動の軸としていることにつながります。
その後、井本氏とともに、2024年5月にミャンマーの少数民族武装勢力のリーダーと民主派政府の大臣(合計10名以上)を日本に招聘するプロジェクトを実行しました。招聘に全力投球するため、当時勤めていた仕事を退職し、日本側の調整の全てをひとりで手弁当で担いました。
リーダー達と1週間寝食をともにし(準備期間を含むと2か月)、”武装勢力”のイメージが大きく変わりました。会う前は、武装勢力というその響きから、厳つくて暴力的なイメージがありました。そのイメージはおそらく、ニュースでみるハマスやアルカイダなどから影響を受けていたのかもしれません。
東京滞在でのミャンマーの武装勢力のリーダーたちは、わたしを孫のようにみてくれる普通の穏やかなおじさんたちでした。わたしに最大のリスペクトを持って接してくださいました。
別れ際に、見送る私に彼らが向けた眼差しは、感謝と信頼と尊敬と…多次元的な温かさを感じるものでした。その温かさは、わたしの魂に柔らかく優しく響きました。戦う必要がなければ、きっと皆、全く違った穏やかな人生を送っていたはず。わたしは、彼らが人々や民族のために捧げる人生を選んだことに、心から感謝しました。そして、こうして出会い、人生が交差したことを嬉しく思いました。
招聘を通して彼らが訴えていたことは、「連邦制と民主化」でした。わたしは、その連邦制の樹立を応援することがミャンマー全体の平和と安定につながると腹落ちしました。そして連邦制を樹立するためには、少数民族の地域に州政府の機能を担う組織と体制が必要で、その州政府の財政を支える経済発展が必要だと考えました。経済開発・回復には、地域への貢献度が高い中小企業の経営回復支援や、若い起業家を育成する支援、その支援に流れる資金メカニズムを開発していくことが必要だと感じました。それは、わたし自身のミャンマーでのソーシャルアントレプレナーとしての経験と、前職でのインパクト投資やベンチャーフィランソロピーなどの社会性の高いビジネスを支援する資金の知見を活かせる分野でした。
そこで、2024年秋、タイとミャンマーの国境周辺地域のソーシャルビジネスを応援するSocial Impact at Borders Incubation Program(SIBIP)を企画しました。SIBIPでは、ミャンマーのシャン州、カレンニ―州、カレン州、モン州、タイのチェンマイ県、メーホンソン県、ターク県から合計37名からの応募があり、最終選考に選ばれた6名が12月のピッチイベントに参加しました。結果、メーソットとメーホンソンの2社が選ばれました。との共創がはじまりました。日本の経験豊富な有志の4人のエキスパートがSIBIPに参画してくださり、選ばれた2社の起業家たちに資金支援(事業拡大を応援する1000USDの提供)と半年の伴走支援(事業へのアドバイス)で応援してくださいました。
このSIBIPの過程で、悔しく感じたことがありました。それは、あまりに現地の状況やリスクが分からなかった為、ミャンマー国内からの応募者のビジネスアイディアを選ぶことができなかったことです。起業して例えば魚の養殖場を作っても空爆されたら…そもそもこのビジネスアイディアはこの状況下で適切なのか…そんなことが過ると、採用することができませんでした。
人道支援だけでは持続可能性がない、社会全体が発展していかない。様々なリスクがあるがゆえに支援がない、そんなミャンマーの少数民族地域のビジネスや起業家こそ、応援しなければ。連邦制の樹立と経済開発に向け、中小企業支援と起業家育成は今から着手しなければ。現在の紛争が何らかの政治的解決で落ち着いたとしてもビジネスセクターへの海外の投資や助成はヤンゴンやマンダレーなど大都市に集中し、少数民族の地域には来ない。この分野でわたしが活動する意義は大きいはずだ。
そんな思いが強くなる中、少数民族地域の一つであるカレンニ―州の暫定政府の方々とご縁を頂きました。カレンニ―州の暫定政府は、数あるミャンマーの少数民族地域の中でも最もその体制作りと運営が進んでいると言われています。私自身、何度か彼らの内部の会議に参加し、その進展にとても驚きました。彼らの経済開発計画とわたしの活動の方向性は親和性が高く、同時に、誠実で温かいカレンニ―の方々に惹かれ、カレンニ―州を中心に活動していくことを決めました。これが、「あやさん@カレンニ―」のタイトルの由来です。
2025年1月にカレンニ―州に入り、人脈形成と現状把握に務めました。その結果、素敵な起業家たちに出会え、リスクとみられる前線での戦闘や空爆は局地的であることを体感しました。SIBIPの選考過程でみたビジネスアイディアが、既にいくつかの地域で実施されている実践的で現状のニーズやデマンドに即したものであったことも確認しました。
同時に、
①この有事中の起業において、起業家がどんな壁にぶつかるのかを私自身が体感しなければ地に足のついた支援はできない
②潜在的な日本の資金提供者から「いきなり現地の起業家にお金を出すのは不安だが、最初のスタートアップの時期だけでもあやさんが事業開発するなら資金提供を検討してもいい」と言ってくださったことを機に、自分が起業する場合を想定し潜在的な事業開発の機会を模索したい
③州政府をファイナンスするためにも経済開発、産業開発が必要だが、どんな潜在的な機会があるのか理解したい
と思い、その視点でも現地で調査を始めました。
そうして、機会としては自転車やバイク・車の販売・修理、インターネットカフェやレストラン、農業、農産物の加工品、コスメやビューティーサロン、飲料水など幾つかを特定し、事業をスタートしやすいセキュリティリスクの比較的低い地域も特定しました。
知人のとある会社の社長に相談すると、「その地域の現在の人口を考慮すると、採算が見込めるか難しい。始めるなら、日常で必ず人々が必要とするものにした方がいい。飲料水はいいと思う。」というアドバイスを頂きました。
なるほど、と思い、飲料水事業の開発を視野に置いて、再びカレンニ―州に入り、調査を行いました。
その調査で、カレンニ―州内の水問題をより深く理解することになりました。安全な水にアクセスできないがために避難民キャンプで皮膚病を発症する方がいたり、近くに水がないため遠くまで歩いて水を汲みにいかなければいけなかったり、地震後にこれまで使っていた湧き水が出なくなってしまった地域があったり、国軍が使った爆弾や含まれる毒の影響で川の水が汚染されていたり、雨季には水が濁水になり水へのアクセスがさらに悪化したり、州内で購入できるペットボトルの飲料水はほとんどが州外からの輸入に頼っていたり。
カレンニ―州内でも都市部と地方、水源が近くにあるかないか、洪水が起きやすい場所かどうか、など様々な地域的背景により水問題の状況が異なることが理解できました。
小さなコミュニティベースの飲料水の会社も幾つか都市部で特定することができました。人々が飲料水を購入する機会や購入する人のセグメントも徐々に特定できました。同時に、ほとんどの地域では、飲料水を買える人はまだ少なく、無料での提供による人道支援ニーズが高いことも把握しました。
その調査を通して、「水」が人道支援、公共サービス開発、産業開発、災害対策・支援、自然資源管理という多様なセクターを横断してニーズが高い領域であると気づきました。
今すぐにビジネスとして採算が取れずとも、まずは各地域ごとに違うニーズの中で、現地の自治体や企業、市民社会団体と協力して非営利で自分ができることからはじめていこう。そのプロセスのなかでもっと深く詳細な情報やデータを取ることができ、徐々に人々のニーズとデマンドを把握でき、経済的にも持続可能なかたちの非営利・営利の飲料水事業の仮説ができるはず。地域によっては、わたしが飲料水事業をはじめることが適切かもしれない、既に小さなコミュニティベースの飲料水会社があるところには融資を提供して彼らの事業拡大や品質向上を応援することが適切かもしれない、若者を対象に水に関する持続可能な事業開発を考えるビジネスコンテストを実施して実現可能なアイディアにシードファンドを提供することも良いかもしれない。
そう思い、まずはできることからと、避難民キャンプに水を提供している若者の市民団体に寄付したり、現地の団体や暫定政府の方々と意見交換を行いました。並行して、中小企業開発に向けてオーガニック農園に無利子・無担保の小規模融資(マイクロファイナンス)を実施しました。
活動の詳細はこちらのnoteからも確認できます。
今後の活動。
目指す未来は「ミャンマー全土の平和と安定」です。平和と安定につながる連邦制と民主制の樹立を応援していきます。
連邦制では各州の州政府をその州の少数民族が中心となって担います。州政府のガバナンス強化には州の財政が重要な鍵となります。
ご縁のあったカレンニ―州暫定政府の財政を支える経済発展を目指し、経済開発・回復のために、地域への貢献度が高い中小企業(コミュニティビジネス、コミュニティエンタープライズ)の経営回復支援や、若い起業家を育成する支援、その支援に流れる資金メカニズムを開発していくことに貢献していきます。
より現地のことを理解するため、引き続き暫定政府や武装勢力、自治体や市民団体の方々と意見交換を行いながら協働しながら活動していきます。
具体的には、カレンニ―州で安全な水へのアクセスを向上に向け、「飲料水」を一つの足掛かりに、人道支援に取り組みながら産業開発、起業家育成、ビジネス支援資金開発に取り組む活動していきます。
上記の取り組みは財政だけでなく、コミュニティのレジリエンスを高めることも目指しています。草の根のコミュニティビジネスは雇用を生み、収入を継続し、人々の生活とつながりを維持し、質の高いレジリエンスとなると考えています。政治的解決がつかず紛争が長期化しているこの状況で、創造的な活動となるコミュニティビジネスの開発は、人々にとって希望にもなり、精神的感情的ウェルビーイングにもつながると信じています。
そしてもう一つ、大切にしている活動があります。それは「祈り」です。
クーデター後何もできなかったことに対し心身魂のバランスが崩れたとき、回復までのプロセスで自然と共にいたり、森の中で舞ったり、神社で手を合わせたり… 当時、魂が望むことを自分にさせていった結果、わたしの内側に「祈り」が育まれていきました。
祈りのなかにいるとき、「何もしなくても、わたしはそのままで愛され、満たされている」と気づく瞬間がありました。そして、「全てはつながっていて、一つなのだ」と。それは、人と人、人と大地、地球や宇宙、目に見える世界や見えない世界、過去現在未来、光と闇、あらゆるものがつながっていてひとつという感覚でした。わたしという存在はそのつながりの一部でありすべてであると気づいたとき、そのつながりを愛おしく感じ、自分の存在を心から尊く思えました。それは、多層的な深い癒しであり、同時に自分の中にある大きな愛に気づく道でした。体をもって生きている歓びを感じ、いまあるすべてに感謝し、愛していると伝えたいという想いが溢れました。これを調和と呼ぶのかもしれない、これが愛の循環なのかもしれない、祈りはわたしに多くの気づきをもたらしました。
祈りは、紛争(革命)の真っただ中にあるミャンマーに関わり続けるなかで、日常的に触れる多くの痛みや複雑な人々の感情、傷ついた大地、自分自身のエゴやトラウマと向き合っていくためにも必要なものだと感じるようになりました。ミャンマーの活動と自身の祈りの開発が連動しているように思え、もしかしたら祈りこそが、わたしの魂が求めているミャンマーとの関り方なのかもしれないとも思うようになりました。
活動中は、行く先々でその大地の神々に挨拶をし感謝をし、樹々や花、水に触れ、現地の方々の伝統的な儀式の場、空爆や戦闘があった場など、祈りたいと感じた場所では祈りを捧げています。前線で戦っている革命軍の方々と話しているとき、わたしには彼らが祈りのなかにいるようにも見えました。国内避難民として自分の土地を離れることを余儀なくされた方々と大地とのつながりが絶たれていることに深い悲しみを感じました。
祈りを信頼し、祈りの純度を高めたい、深めたいという想いに駆られ、天麻那舞、瞑想、仏教哲学、エナジーワーク、聖地巡礼などを続けながら感応に意識を向け、祈りの道を歩んでいます。
目指す未来である「ミャンマー全土の平和と安定」に向って、祈りを続けていきます。
わたしの活動はNGOなどに見られる1年や3年などの期間的区切りと固定された事業内容がある支援事業、開発事業ではありません。この変化の激しいミャンマーの情勢の中で、意義ある貢献をするために現状に合わせ柔軟に多面的、多層的に活動していきます。同時に、100年、200年先の未来を見据えて今成すべき活動していきます。
人道支援ニーズの高い現在、ビジネス開発支援につながる資金を提供してくださる方はほとんどいません。ビジネスの投資の視点ではリスクが高すぎること、そして寄付や助成の視点からでは人道支援が優先となるからです。インパクト投資やベンチャーフィランソロピーの視点からみても、経済的リターンはおろか測定可能な社会的リターンさえ確保できる保証もないので、資金提供は難しくなります。公的資金を使った日本のNGOやJICAなど諸団体の活動は、公式なカウンターパートである軍事政権を通さなければならないため、反軍事政権を掲げている少数民族の地域には資金や支援は来ません。そしてわたしの活動は、期間内に目に見える成果を明確に出せるような取り組みでもありません。また、わたしは認定団体に所属していてはできない活動をしているため、個人で活動しています。このような理由から、現在、日本の社会の中でわたしの活動と合う資金はなかなか存在しません。
そして、祈りで平和を創るという国際協力活動を文化交流という領域ではなく草の根の活動領域で行っている方はあまりいらっしゃらないため社会的に認知されにくく、短期的に目に見えるかたちで成果や効果を明確に提示することも難しいです。
それでも、自分がこれまでと今も続く試行錯誤のなかで生まれてきたビジョンとプロセスを信じ、意味があると自分が腹落ちしている活動をしていくと決めています。
そしてだからこそ、このプロセスそのものを多くの方々と分かち合いたいと思いました。
描く明確な結果に対して寄付を募るクラウドファンディングではなく、多くの方々とつながり、そのプロセスを分かち合えるようこのコミュニティを作ることを決めました。
このコミュニティについて
このコミュニティは、多くの方々とつながって、わたしの活動を分かち合いたいという想いから作りました。
noteやYoutubeでは伝えられない、物事と物事の間のプロセスや決断までの道のり、直面する課題や何気ない出来事、人々とのやり取りから感じたことや気づきなどを友人に話すような感覚で共有していきます。
また、わたしの活動を通して、コミュニティメンバーの方々がよりフラットにミャンマーの少数民族の地域に生きる人々とのつながりを感じることができたらとても嬉しいです。
コミュニケーションには、 LINEの承認制オープンチャットを使用します。
コミュニティメンバー費は幾つかの金額を用意しました。特典内容は全て同じです。ご自身が気持ち良いと思う円(縁)を選んでいただければと思います。
noteやYoutubeでは伝えられない、物事と物事の間のプロセスや決断までの道のり、直面する課題や何気ない出来事、人々とのやり取りから感じたことや気づきなどを友人に話すような感覚で共有していきます。
また、わたしの活動を通して、コミュニティメンバーの方々がよりフラットにミャンマーの少数民族の地域に生きる人々とのつながりを感じることができたらとても嬉しいです。
コミュニケーションには、 LINEの承認制オープンチャットを使用します。
コミュニティメンバー費は幾つかの金額を用意しました。特典内容は全て同じです。ご自身が気持ち良いと思う円(縁)を選んでいただければと思います。
よくある質問
Q:誰でも参加できますか?A:少しでも興味があればOKです!お気軽にご参加ください!
Q:コミュニケーションを取るツールはなんですか?A: LINEの承認制オープンチャットです。ニックネームが使えますので個人情報を出さずに参加可能です。LINEが苦手な方には月に一回メールマガジンをお送ります。
Q:コミュニケーションを取るツールはなんですか?A: LINEの承認制オープンチャットです。ニックネームが使えますので個人情報を出さずに参加可能です。LINEが苦手な方には月に一回メールマガジンをお送ります。
注意事項
・このコミュニティは、ミャンマーの現状や戦局について分析したり、議論したりする場所ではありませんのでご了承ください。
・個別のご相談はコンサルティングをご利用ください。
・LINEで共有される情報はあやさん@カレンニ―の主観が含まれます。論文やSNSへの引用はお控えください。
・領収証の発行には対応しておりません。代わりに購入履歴等をお使いいただきますようご協力お願い申し上げます。
・寄付控除の対象外となります。予めご了承ください。
・他の利用者の方への誹謗中傷、荒らし行為などに該当する行為があった場合やその他運営の妨げになると判断した場合、強制退会となる場合があります。
・決済後のご返金やキャンセルは一切出来かねますので、あらかじめご了承ください。
・その他規約はCAMPFIRE利用規約に準じます。CAMPFIRE利用規約
・CAMPFIREの入退会、その他ご不明点はCAMPFIREのヘルプページをご覧ください。CAMPFIRE ヘルプ > CAMPFIREコミュニティ
沖縄生まれ、福井育ち。コスタリカの国連平和大学にて国際法と人権にて修士号取得。
ミャンマー歴12年(2025年現在)。2013年からミャンマーにて国際機関、非営利活動法人、現地法人勤務後、2018年にメンタルヘルス支援のソーシャルビジネスで起業するも2021年のクーデターで廃業。
2024年5月に少数民族武装勢力のリーダーや民主派政府の大臣を日本に招聘するプロジェクトで調整役を担ったことがきっかけに武装勢力の方々と仲良くなり、彼らの目指す連邦制と民主化を応援することが平和と安定につながると確信。
2024年夏から、ミャンマーのカレンニー州やタイのメーホンソン県の少数民族の方々とソーシャルビジネス開発や起業家育成支援にて共創を開始。
2025年現在、フリーランスとして、クーデター後の革命(内戦)が続くミャンマーのカレンニー州で武装勢力や暫定政府、市民団体と共創しながら、人道支援や経済開発を草の根から応援する活動をしている。
・個別のご相談はコンサルティングをご利用ください。
・LINEで共有される情報はあやさん@カレンニ―の主観が含まれます。論文やSNSへの引用はお控えください。
・領収証の発行には対応しておりません。代わりに購入履歴等をお使いいただきますようご協力お願い申し上げます。
・寄付控除の対象外となります。予めご了承ください。
・他の利用者の方への誹謗中傷、荒らし行為などに該当する行為があった場合やその他運営の妨げになると判断した場合、強制退会となる場合があります。
・決済後のご返金やキャンセルは一切出来かねますので、あらかじめご了承ください。
・その他規約はCAMPFIRE利用規約に準じます。CAMPFIRE利用規約
・CAMPFIREの入退会、その他ご不明点はCAMPFIREのヘルプページをご覧ください。CAMPFIRE ヘルプ > CAMPFIREコミュニティ
沖縄生まれ、福井育ち。コスタリカの国連平和大学にて国際法と人権にて修士号取得。
ミャンマー歴12年(2025年現在)。2013年からミャンマーにて国際機関、非営利活動法人、現地法人勤務後、2018年にメンタルヘルス支援のソーシャルビジネスで起業するも2021年のクーデターで廃業。
2024年5月に少数民族武装勢力のリーダーや民主派政府の大臣を日本に招聘するプロジェクトで調整役を担ったことがきっかけに武装勢力の方々と仲良くなり、彼らの目指す連邦制と民主化を応援することが平和と安定につながると確信。
2024年夏から、ミャンマーのカレンニー州やタイのメーホンソン県の少数民族の方々とソーシャルビジネス開発や起業家育成支援にて共創を開始。
2025年現在、フリーランスとして、クーデター後の革命(内戦)が続くミャンマーのカレンニー州で武装勢力や暫定政府、市民団体と共創しながら、人道支援や経済開発を草の根から応援する活動をしている。
料金・プラン

あやさん@カレンニ―がLINEのオープンチャットで活動中に起きていることや進捗などを共有します。SNSでは話さないような詳細や臨場感のある共有をしていく予定です。活動をもっと多くの方々と分かち合いたいという気持ちで用意した特典です。共有頻度は週1回~2回になる予定です。※この特典を得るにはLINEが必要です。※LINEのオープンチャットは承認制の非公開ルームです。ニックネームを設定できるので、LINEのアカウント名など個人情報を出さずに参加できます。※LINEのオープンチャットに入りたくない場合は、備考欄にその旨を記載してください。その場合、月に1回のメールマガジンを送らせて頂きます。
3,500円/月
0名
あやさん@カレンニ―がLINEのオープンチャットで活動中に起きていることや進捗などを共有します。SNSでは話さないような詳細や臨場感のある共有をしていく予定です。活動をもっと多くの方々と分かち合いたいという気持ちで用意した特典です。共有頻度は週1回~2回になる予定です。※この特典を得るにはLINEが必要です。※LINEのオープンチャットは承認制の非公開ルームです。ニックネームを設定できるので、LINEのアカウント名など個人情報を出さずに参加できます。※LINEのオープンチャットに入りたくない場合は、備考欄にその旨を記載してください。その場合、月に1回のメールマガジンを送らせて頂きます。
6,000円/月
1名
あやさん@カレンニ―がLINEのオープンチャットで活動中に起きていることや進捗などを共有します。SNSでは話さないような詳細や臨場感のある共有をしていく予定です。活動をもっと多くの方々と分かち合いたいという気持ちで用意した特典です。共有頻度は週1回~2回になる予定です。※この特典を得るにはLINEが必要です。※LINEのオープンチャットは承認制の非公開ルームです。ニックネームを設定できるので、LINEのアカウント名など個人情報を出さずに参加できます。※LINEのオープンチャットに入りたくない場合は、備考欄にその旨を記載してください。その場合、月に1回のメールマガジンを送らせて頂きます。
10,000円/月
0名
あやさん@カレンニ―がLINEのオープンチャットで活動中に起きていることや進捗などを共有します。SNSでは話さないような詳細や臨場感のある共有をしていく予定です。活動をもっと多くの方々と分かち合いたいという気持ちで用意した特典です。共有頻度は週1回~2回になる予定です。※この特典を得るにはLINEが必要です。※LINEのオープンチャットは承認制の非公開ルームです。ニックネームを設定できるので、LINEのアカウント名など個人情報を出さずに参加できます。※LINEのオープンチャットに入りたくない場合は、備考欄にその旨を記載してください。その場合、月に1回のメールマガジンを送らせて頂きます。
30,000円/月
0名プロフィール
AYA PPP
沖縄生まれ、福井育ち。ミャンマー歴12年(2025年現在)。
2013年からミャンマーにて国際機関、非営利活動法人、現地法人勤務後、2018年にメンタルヘルス支援のソーシャルビジネスで起業するも2021年のクーデターで廃業。
2024年5月に少数民族武装勢力のリーダーや民主派政府の大臣を日本に招聘するプロジェクトで調整役を担ったことがきっかけに武装勢力の方々と仲良くなり、彼らの目指す連邦制と民主化を応援することが平和と安定につながると確信。2024年夏から、ミャンマーのカレンニー州やタイのメーホンソン県の少数民族の方々とソーシャルビジネス開発や起業家育成支援にて共創を開始。
2025年現在、フリーランス活動家として、クーデター後の革命(内戦)が続くミャンマーのカレンニー州で武装勢力や暫定政府、市民団体と共創しながら、人道支援や経済開発を草の根から応援する活動を行っている。
クローズドの会合に呼ばれたり、普通の人がいかない場所に赴いたりするなかで時々スパイに間違われながら、ミャンマーの平和と安定を目指し奮闘している。
2013年からミャンマーにて国際機関、非営利活動法人、現地法人勤務後、2018年にメンタルヘルス支援のソーシャルビジネスで起業するも2021年のクーデターで廃業。
2024年5月に少数民族武装勢力のリーダーや民主派政府の大臣を日本に招聘するプロジェクトで調整役を担ったことがきっかけに武装勢力の方々と仲良くなり、彼らの目指す連邦制と民主化を応援することが平和と安定につながると確信。2024年夏から、ミャンマーのカレンニー州やタイのメーホンソン県の少数民族の方々とソーシャルビジネス開発や起業家育成支援にて共創を開始。
2025年現在、フリーランス活動家として、クーデター後の革命(内戦)が続くミャンマーのカレンニー州で武装勢力や暫定政府、市民団体と共創しながら、人道支援や経済開発を草の根から応援する活動を行っている。
クローズドの会合に呼ばれたり、普通の人がいかない場所に赴いたりするなかで時々スパイに間違われながら、ミャンマーの平和と安定を目指し奮闘している。
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